異邦人

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6月17日(日)、コロナ禍から3年ぶりに高校の同窓会が開かれた。

1期~53期が一堂に集う同窓会だ。もっとも、1期生は人数が少ないこともあり、今まで見たことがない。昭和42年に、生徒・教職員ともに10数名で発足した学校なのだ。青森の学園が創立30周年を迎える年に、姉妹校として浦和に開校したと聞いている。

教育母体の本部はカナダにあるので、私が入学した頃は高校1年で英語とフランス語が必修科目だった。高校2年からは選択科目になったので英語を選んだ。けれど、1年の時に学校で紹介されたカナダ人のペンパルは完全なバイリンガルだった。影響されて、付属の短大はフランス語科に進んだ。ペンパルは3歳年上の女性で、手紙のやり取りを始めてすぐに、メディカルカレッジに進学した。ドクターの国際ライセンスを取ったら日本に行くと言っていたのに、文通は約3年で終了した。原因は主に私だった。短大では毎日6時間ほどフランス語を使っていた。英語は週1回2時間だけの生活になった。それで、どんどん英語が書けなくなっていった。かといって、フランス語で手紙を出す力はまだなかった。それで、ついに返事が出せなくなったのだ。卒業する頃には、日本語もなかなか出てこなくなった。それくらいフランス語にどっぷりつかった生活だった。純粋に学ぶことが楽しかった。卒業生も利用できる図書館のカードもあってうれしかった。

ところが、2003年3月に短大は閉校し、4月からは中高一貫校としてスタートすることになった。中高一貫校になってから、今年で20年が経った。34期以降は中学受験で入った人たちになる。登壇する先生方も知らない人が多い。今年の同窓会はまるで雰囲気が違う。まさに「異邦人」になった気分だった。コロナ前はまだそうは感じなかった。私が教わったことのある現代国語の先生のロッカーを見つけて、びっくりしたのを覚えている。ほんの数年で、こんなに変わってしまうものなのだろうか?もしかすると突然ではないのかもしれない。20年かけて少しずつ変わってきたものを今年はっきりと認識しただけなのかもしれない。

帰りは、高校時代に器楽部で一緒だった同級生のYさんと、お蕎麦屋さんに寄って遅いランチを食べた。Yさんは、同窓会で出たサンドイッチを食べたのでおなかがすいていないと言って、お酒を飲んだ。これも今までになかったことだ。彼女にお酒を飲むイメージはなかった。私は同窓会に遅れて参加したので、サンドイッチを食べる場所がなく持ち帰ることにした。お蕎麦屋さんは、Yさんと私が高校に通っていたころはなかったお店だ。15年前にできた老舗なのだそうだ。Yさんはすっかり酔ってしまっていたが、反対方向の電車に乗ると言うので駅で別れた。住むところも日常生活も何もかも違ってしまった友達。22歳の時、大宮(埼玉県)市内の路上でバッタリ会ったことがある。私は短大卒で働いていて、結婚をした頃だった。Yさんは4年制大学を卒業して、学校の先生として働いていた。キラキラ輝いていた。学校の先生は10年ほどで辞めてしまい、今はボランティアで東京シティーガイドの仕事をしているという。彼女は歴史に詳しい。去年、熊谷の「妻沼聖天山」に来たことがある。

来年の今頃はお互い何をしているのだろう?また同窓会に来るのだろうか?

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